帰省編。

いわゆるお盆休みが終わったー。


祖父の初盆で、山梨へ。
東海道がアレで、迂回路の中央道が残念なことになっているので、
バスはやめて、鈍行電車でどんぶらこっこ。
延々と本を読んできたら、めちゃめちゃ首が痛くなった。
何とかして最寄り駅に辿り着くと、
父が迎えに来てくれた、軽トラで。
祖父母宅には車が3台あって(金持ちって意味でなく、生活必需という意味で)、
祖父が亡くなったので、そのうち2台を廃車にしたとは聞いていたが、
残したのがそれなのね。
免許取ったら、祖父母宅で練習しようと思ってたんだけど、
軽トラで練習とかどうなんでしょう 笑
感覚が違いすぎるよね、多分。


もともと祖父母宅には祖父母の2人が住んでいたのだけど、
祖父が亡くなると、足の悪い祖母一人で山奥に住む訳にはいかず、
祖母は神奈川の老人ホームで暮らすことになった。
だから、山梨の祖父母宅には今は人が住んでおらず、
私の父&その弟妹が交代で祖父母宅のメンテナンスへ行ってる状態。
ただいつまでもそういう生活をする訳にも行かないし、
子世代(私の父の代)は皆、東京や神奈川に生活の基盤があるので、
この山梨の家&田畑や山をいつか何とかしなくてはならない感じ。


祖父母宅へ行く途中で、寄ったスーパーの隅に、
『ハイジの村』という施設のパンフレットが置いてあるのを見かけ、
「是非とも行かなくては!どこにあるんだ」と場所を確認すると、
『県立フラワーセンター内』と書いてある。
山梨県には県が運営している、いわゆるハコものが沢山あり、
フラワーセンターもこの一つである。
祖父母が元気であった頃、山梨を訪れるたびに、
祖父母は孫達をそれらのハコものへ連れて行ってくれた。
ハコものスタンプラリーがあったら余裕で何周も出来るくらいに。
高3の夏に「数学合宿」と称して、数学の参考書だけを持って、
1週間、祖父母宅へ籠ったことがあったが、
その時も、気分転換にいくつかの施設へ連れて行ってくれ、
その中の一つがフラワーセンターであった。
そんなことを思い出し、
しかし、もう以前のようにお弁当とレジャーシートを持って、
みんなでわいわい行くことはないのだなぁということに気づくと、
非常に切ない気分になった。


祖父母宅に着いて、
お盆の準備に合流する。
女は台所仕事だけども、
その中に祖母はいない。
(祖母は足が悪いので)
台所仕事が祖母&嫁達から、嫁達&孫(=私達)へと
完全にバトンタッチされたのだ。
私は祖母の作る肉じゃがが非常に大好きであり、
祖父母宅へ行く度にその肉じゃがを食べられることを楽しみにしていたが、
もう祖母が台所で料理を作ることはないだろう。
それを思うと再び、胸が締め付けられそうな思いがした。


初盆は慌ただしかった。
私の親世代は大学の時点で皆上京しており、
田舎の風習を誰もあまり分かっていないので、
てんてこ舞いになっているのが傍から見ていてよく分かった。
祖父は会社の役員をしたり、地方議員をしたり、色々な会の代表を務めたりしていたため、
割と多くの人が訪れたのだが、
そんな祖父の交友関係を祖母でさえ把握しきれておらず、
父&その弟妹が客と会話をしながら、その人が誰なのかを探っている様子が、
傍から見ていて面白かった。
私はお茶出し係。
高校の礼法の授業が生きた。


父のいとこは若い。
子どもがまだ小学生である。
この子達のお守りは孫世代(=私達)の担当であるが、
小学生のパワーはすさまじい。
1時間でヘトヘト。
しゅごキャラプリキュア、レスキューファイア辺りで、
共通の話題が出来るキモい大学院生でごめんなさい。
この兄弟の末っ子の男の子に、
私はいたく気に入られており、
今回、可愛いビーズを貰い、次は指輪をあげると言われたよ。
老若男女問わず、愛のアプローチにあまりにも慣れていなさ過ぎる私は、
5歳児の「好き好き」アピールにも大人の対応が出来ず、
言葉に詰まってしまう残念な23歳なのであるが、
ビーズのお返しにトミカの一つや二つでもあげようとは思っている。
ちなみに、どうしてその子が私のことを好きであるかという理由は明快であると思われる。
私はその子の母親に結構似ているからだ。


そんなこんなで私は次の用事の為に、
帰京した。