あえて言うなら相対主義。

「〜主義」というのは信仰みたいなものだと思っている。
「〜主義」的発言をしたからと言って、〜主義者ではない、
つまり、私の今の発言は、
行為と主体を切り離して考えていることを前提としている訳だが、
まぁ、そんなところだ。
ファッション(という言葉を用いた含意は、着脱自在ということ)
としての「〜主義」的発言者は多いと思う。
某所で自治会長という名のつくことをしているのだが、
それについて新聞論の先生に、「自治会長ってのに、思想背景とかないのね」
って冗談交じりに言われた。
確かに大学組織のおいて「自治会長」という響きは何か、思想的な含意を持っている、
歴史的に。
が、実際、私は何かの「〜主義」者ではないと自分では思っている。
てか、がっかんはまぁ、そんな組織ではない(笑)
リオタールのいう「大きな物語」が終わったからなのか、
私個人の特質なのか。
何かみんな「相対主義」だなってのは当たり前に思う。
ここで「みんな」って代名詞使うと、だめなんだけど。
特にCMCだと。
フレーミングの主な原因に絶対主義的な断言、全称代名詞を用いた発言がある。
オフラインだと、OKな発言でも、
CMCでは過敏に反応される訳で。
「〜な人もいるし、・・・な人もいる」っていう言説で、
相手を論破というか説得というか説伏させようというパターンを所々でみかける。
そういうことに関して、私は良いとか悪いとかいう価値評価を下すつもりは毛頭ないのだけど。
私自身に関しては「絶対的価値観」が存在しないことをちょっとさみしく思う。
絶対的に信じられるものが欲しい。
という、人のために宗教は社会的装置として存在するのだというありふれたディスクール


そつろんね。
系譜学的分析したいな。
「(ある特定の概念が)何であるか」というより、「どのようにその概念が生まれたか」っていう視点。
what?っていう問いは、言葉の定義を争うことに陥りやすい。
ヴィトゲンシュタインの「哲学の問題は言語の誤用である」っていうのを信仰に近い形で、
高い問題意識に挙げている身としては、そういう事態には絶対陥りたくない。
そういう点で、私は系譜学的分析に興味がある。
フーコーも嫌いじゃないし。


学校行った。
雨降ってる。
もう、雨飽きた。
稽古行った。
五月祭明けだから、新しい技(1年生にとっては)が始まった。
小手返し教えた。ガクガクガクガク。
図書館に最後までこもった。
やっとECCのパスワード発行してもらった。
毎年変わるとか知らないwww


[rakuten:sproutoy:10000566:detail]
8月発売予定だって。
某演武のとき、久しぶりに会った某先輩が、
私も見て、真っ先におっしゃったセリフが
「MGの100体目はターンエーらしいよ!!!!!!」
かなーり、嬉しそうだった(笑)


今日のハイジ
5月9日比-1.2kg
じわじわ。
とりあえず、ひとつ、ズボンが履けるようになった。


今日の語学
ipodポッドキャスティング活用しています。
フランス語。
英語でフランス語を勉強するというね。
しかもこの英語、すごいフランス語訛りwww
アクセントといい、r音といい、何か鼻にかかってる感じもするし。
ぼーっと聞いてると、フランス語にしか聞こえない英語。


あとはBBCのビデオポッドキャスト聞いてる。
やっぱり映像があるとモチベーションがあがる。