「記号」としてのテレビ

行ってきました。
石田先生のHPで発見。
記号論がきっかけで今の学科に入った身としては、
絶対見逃せないどこだったのだけど・・・。

日本記号学会第26会大会:〈記号〉としてのテレビ
 会場:東京大学教養学部 18号館 
 
5月13日(土)
13:15〜16:30 (18号館ホール)
  オープニング討議「テレビ記号論とは何か」(日本語/フランス語 同時通訳付)
  導入報告:石田英敬東京大学
  基調報告:フランソワ・ジョスト François JOST(パリ第三大学)
       朴明珍 PARK Myung-Jin(ソウル大学
  討議:原由美子NHK放送文化研究所)、小林直毅(県立長崎シーボルト大学
16:45〜18:30 (18号館ホール)
  ラウンドテーブル1「テレビ・コンテンツ研究の現在」
  パネリスト:増澤洋一(千葉工業大学)、原宏之明治学院大学
        和田伸一郎(大阪医科大学
  司会:水島久光(東海大学
18:40
   懇親会

5月14日(日)
13:30〜15:15(18号館ホール)
  ラウンドテーブル2「記号技術としてのテレビ」
  パネリスト:川森雅仁(NTTサイバーソリューション研究所)
        林正樹(NHK放送技術研究所)、佐野徹(日本テレビ
  司会:境真理子(江戸川大学
15:30〜17:30(18号館ホール)
  ダイアローグ 「記録と記憶/ドキュメンタリーとテレビ的情報空間」
  “ヒロシマ”を巡る諸問題
  報告:水島久光、西兼志(東京大学
  討議:桜井均(NHKエグゼクティブ・プロデューサー)、
     金平茂紀(TBS報道局長)、港千尋多摩美術大学
  コーディネーター:石田英敬

色々メモしたんだけど、
今、人にパンフレットを貸しているので
詳しいことが思い出せない。
とりあえずパネリストを見て分かるように、
13日は極めてアカデミック。
14日は現場寄り。

所感としては「記号学の学会ぽくない」というのが第一。
1日目は、今まで詰め込んだ記号学の知識総動員だったのだけど、
2日目で、全てが根底から覆された気がする。

よくある構図で「アカデミズムvs現場」というものがある。
これは私の中で今、かなり高い問題意識で。
2日目の討議は討議になっていなかった*1のだけど、
それでも一つ、前記の構図が浮き彫りになった。
ね。
(まぁ他にも色々と二項対立はあったのだけど)
研究員の方の報告は極めて記号学パラダイムに即した
番組分析でとても理論的だった。
記号学の用語、前提が一通り頭に入ってる身としては、
すんなりくるものだった。
それに対して、TBSの金平氏
「当事者のいない批評は無意味だ」と一言。
あとはテレビの公共性についての話になり、
報告に関しては一言も触れず。
(氏の話した、テレビの公共性についての話も色々書き甲斐があるのだが)
それに対し、石田先生や報告した西氏の何らかの上記の二項対立に関する、
コメントが出てくると期待したのは間違いで、
番組分析をした動機を語っただけで、
正面から金平氏のコメントに返答することは無かった。
一番、聞きたかったのに。


記号学という分野はメディア論と結びつき、
「アカデミズムvs現場」という問題が
顕著に出てくる分野である。
学問による分析・考察は、
殆どの場合、当事者不在な訳で。
当事者不在のまま、ただ現象を観察し、記述する。
分類し体系づけ、構造を提示する。
そのような過程の中で、
言葉はどんどん難しくなっていき、
元の現象とは一見、似ても似つかなくなり、
当事者の手を離れていく。
「私は、こんな作品なんか作った覚えが無い。」


私がやろうとしていることは何なんだろう。
記号学に沿った番組分析の報告のさなか、
ねぎさんに
「heidiのやろうとしていることはこういうことなの?」
と聞かれて、
とても困った。
直感的には違う。
でも厳密にやっていこうとすると、多分こうなる。
でも嫌だ。


「それは何の役に立つの?」
という質問をされるのが昔からとても嫌いだった。
「誰にとって?」
「公共のために?公共って何?」
「そもそも役に立たないことは無意味なの?」
「じゃああなたのやっていることは何か役に立つの?」
と反論はマシンガンのように出る。
「役に立つ」と「無意味」は同義ではなくて。
「役に立たない」学問と言われてもまぁ最近へっちゃら。
だけど「無意味」は怖い。
うん。
最近、自分で、分析に主観を排せないなら、それは分析と言えるのか。
という極めて自然科学的な思考に至り、煮詰まるようになってきた。
主観混じるよ。どうやったって。
真理なんてないよ。
どう考えたって。
意見がどんどん更新されていく営み、意見がどんどん重層的になっていく営み。
それはとても楽しくて刺激的なことだろう。
けど、ときどきエセ客観主義者になってしまう。
私が将来やろうとしていることは無意味なのか。





家族の時間の流れ方と、
自分の時間の流れ方が違いすぎて、
困る。
合わせたら破綻する。
てかすごいストレス状況下。
あたしのストレスがまずい。
家かえりたくない。
家族が寝静まらないと帰りたくない。
てか、いつもその時間まで帰らないようにしているけど。
あぁ、はちきれそうだよあたまが。

家族は大好きなんだけど。

*1:生産的な議論が出てない。