真面目な話をしようと思ったけどやめたのだが。

ね、巣鴨へ。
ここに来ると、いつも自らの在り方と、
志向とそして、社会福祉について考えることになる。
真面目な話聞きたいですか?
とね。

第2条 この法律において「障害者」とは,身体障害,知的障害又は精神障害(以下
「障害」と総称する。)があるため,長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制
限を受ける者をいう。
障害者基本法」より

で、上記の引用の「身体障害」や「長期にわたり」という表現に的確にあてはまらな
*1ために、私たちは幸か不幸かここから省かれる訳で。
私のように症状がだいぶ軽くなった人はまだいい。
でも、重度の症状が続く人にとっては本当に死活問題。
医療費も出ない。
職業の保証もない。
社会的理解もない。
それでも何とかうまくやっていく人もいるけど、
みんながそう出来る訳でもない。
うまくやっていけない人に対して、
ただ、甘えだと見捨てることは簡単だけど、
それはやっぱり違うと思う。

だって、正直、やっぱり、おれるじゃん。
悔しいじゃん。

私だって卒業はしたけれど、
やっぱり、まだものすごく悲しくて苦しくて、
悔しくて痛い。
そしてもどかしい。
そんな気持ちはある。

やっぱり身体は大事なメディアであり、
その中でも音声器官というのは
現在の社会ではかなり出力割合の高い、
そしてメディアはメッセージだ、よろしく、
影響力の高いコミュニケーション手段になっている。
それが機能しないってことは
それだけで相当のフラストレーションが溜まっていくと思うし、
現実にも溜まっている。

それに対して「コンテンツを磨いていけばいい」というのは簡単。
私もよく言っているし、自分に言い聞かせていくけど、
それによって満たされる欠落感と、
上記のフラストレーションはまた別で。

だから私はどちらかというと書記言語へ逃げていくんだ。
だって100%出力できるんだもん。

話は元に戻るが、
最初に障害者基本法の引用を出したけど、
では、うちらは障害者として認めてほしいかというと、
個人的に言えばまた違うわけで。
なんだろう。
うん、
ただ、
私が思うことは、
怪訝な顔をせずに、
ゆっくり、
優しく、
全てが終わるのを待って欲しくて、
それに関して、
何事もなかったようにスルーしてほしいな。
ってそれだけ。
それが社会的に一般化されてほしいな。
ってそれだけ。
そしてそれが社会的に一般化されたということが、
私の中で無意識化の前提とされるといいな。
ってそれだけ。

もう1シーズンが終わるよ。
こんな私たちのために病身をおして、
函館から来てくださる先生がいて。
もう何年も前に卒業したのに、
来てくださって親身に相談に乗ってくださる先輩がいて。
年齢や社会的立場を超えて、
同じ悩みを抱えた心強い仲間がいて。

私は何て幸せな存在なんだろう。
何か報いをしたい。
したいよ。

*1:身体に障害があるわけではなくて、発話時に、反射的に横隔膜を中心とし、周辺の筋肉が過度に緊張状態になるために、結果として発話困難となる。